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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

遍路日記18~19

何故、四国遍路に出るのか?遍路日記その1

四国遍路にお参りに出かけようと思ったのは、
昨年の年末のことでした。

墓地の整備が進まず、体調を崩していた私は
何故か四国遍路に出て弘法大師にすがりたいという
思いを持ちました。

歩き遍路は弘法大師にすがる旅。
僧侶のするものではない。

平成13年に当院に入ってからはそんな機会は
永久に訪れることはない。

そう思ったはずですが、それが何故かまた、四国遍路に
引き寄せられてしまいました。

しかし、今までの旅と何か違うものを感じます。

そう、今までの旅は戻ってくることにない旅でした。
正確にいえば、戻って来る場所のない旅でした。

四国遍路として四国にやってくる人のほとんどは
四国遍路を終えた後も帰る場所を持っています。

四国遍路に出る理由はそれぞれあるでしょうが、
それぞれの生活を離れ、四国へ来て四国遍路をして、
終わってからどこかへ帰り、また別の生活を始める。

中には、四国遍路がそれまでの生活の延長に組み込まれて、
単なる旅行にしかなっていない人も少なくないでしょう。

しかし、1000人に一人ぐらい、帰る場所を
持っていない人がいるのではないか。

四国へ来て遍路となり、生きている限り、
そのまま四国を廻り続ける。

無限のルーレットのような、そこから抜け出したい
そんな思いを抱きながら抜けられない。

そんな人をたくさんみました。

高知のある公園で野宿で一緒になったオジサンがいました。

その人は高野山で修業して、下ってから10年間四国を
廻り続けていると言っていました。

それが本当かどうかわかりません。

野宿をしながら、延々と四国を廻り続けている人にしては
気さくで親切に思えたその人と、私は話をしました。

「ところで、なぜ四国を廻り続けているんですか」

「そうやな、四国の人は優しい、それに温かい。
そういう人と話をするといろんな話を聞けて勉強になる」

「それだったら、四国以外でしてほしいですね」

私は四国霊場がすごく好きです。
霊場のみならず遍路文化は
貴重な歴史的文化遺産だと思っています。

信仰心のない人が廻ってほしくないと思っている。
だから、基本的に「歩くこと」にしか興味のない
歩き遍路が嫌いです。

歩いて何かを体験したい。
それならば、四国以外でしてほしいというのは私の本音です。

自分だけは違う何物かでありたい。
そんな思いが、私にそんな発言をさせました。

その言葉を言った瞬間その人の顔色がサッと変わり

「えらそうなことを言うな」

急に乱暴な言葉使いになり、怒って何も言わなくなりました。

今から考えるとすごく悪いことをしたと思います。
その言葉自体は多分その人の本音ではない。
本音は言えないのかも知れないし、自分でも
表現できないかもしれない。

私が、今、四国遍路をしようとしていることなどは、
どんな理由をつけようとも、他の人には理解できない
だろうし、自分でもそれが本当の理由だとは思えない。
うまく表現できないのです。

オジサンも同じだったと思います。

自分が四国を廻り続けている理由など
自分でも表現できない。
普通に理解してもらいやすい理由を
言ったに過ぎないのでしょう。

それを否定されることは、尻尾を踏まれるのと
同じだったのだろうとおもいます。
ずっと旅を続けている理由などない。
しかし、行くところがない。

それと同じように、私が、今、四国遍路をしようと
していることなどは、どんな理由をつけようとも、
他の人には理解できないだろうし、自分でもそれが
本当の理由だとは思えない。
その思いは、うまく表現できないことでしょう。

私は出かけることを前提にして、準備を始めました。

最初は5月28日を出発予定日に定めました。

しかし、その予定は脆くも崩れ去ります。
理由は雨天が予想されたからです。

出発日が雨の中など誰も行きたくはない。
それに出発の準備ができてない。
それにやっておくべき仕事ができてない(;一_一)

雨音を聞きながら、おもむろに、四国遍路に持っていく
荷物の確認を始めた。

まず、新品の背負子。
ザックは背中が蒸れる。
背負子が一番です。

小型のリュック。
15年前も使った赤のペラペラのザック。

さすがに地図は2種類。
歩きへんろの定番の「へんろ道保存会の地図」。
これが以前は評判がよくなかった。

5万分の一の地図に、ルートや店などを書き込んであるのだが、
異常に読みにくかった。
何しろ地元の人に見せてもその人が、
その地図を全く読めないという代物。

しかし、メリットもありました。
正確な測量図なので、道の傾斜(きつさ)が判るし、
山の形もわかるので、自分のいる場所もわかりやすい。
ただ、それを読む技術がいるというのは難点です。

今回購入したものは、以前のものより悪くなっている。
以前は見開き一ページの大きな地図で周辺の様子も
よく判ったのですが、今回のものは、
それが2分割されていたりします。
それに要望が無かったのでしょうか、
番外霊場が少なくなっています。
そこでもう一つ地図を買いました。

それにカッパ(大袈裟にストームクルーザーとか書いてある)
折りたたみの傘。

寝袋・テントは検討したがパス。
(個人用のものを持っています)
野宿が目的ではないし、持ち歩きが体力的にもきつい。
ほとんど野宿で廻った時でも、
出だしの徳島では寝袋は持っていなかったし(途中で購入)
テントなど持ったことがない。

それにテントを背負って遍路するのは家を背負っているのと同じで
お大師さんにすがって歩くという私の考え方にはそぐいません。

それでも、雨露がしのげる場所で寝られたものです。
寝袋の代わりに、ペラペラのシートを持っていく。
最悪それにくるまって寝るのです。
ハンカチ・ちり紙を入れたら、これでほとんどおしまい。

歩きへんろの装備を見ると驚くほどの荷物を持っています。
コンパスだのラジオだの医療品だの
あんなに持てないし、いらない。
必要なものがあったら、現地で買うぐらいの気持ちの方が
いいと思います。

あとは、白の上下と、改良服、数珠と袈裟。
おさい銭と線香と納め札と納経帳。
着替えがワンセット、下着がワンセット、あとタオルぐらい。

30キロまで背負える背負子がスカスカです。
15年前は20キロぐらいの荷物でしたが、
荷物はその人の業。
軽いほうがいいですよ。

次に5月29日を出発予定日に定めたのだが
その予定も脆くも崩れ去ります。

理由は再び雨天が予想されたからです。
それに、なんとなく気が進まない。

よく考えると、靴も用意していない(;一_一)
なんといういい加減さであろうか。
几帳面な人なら目眩がしてしまうに違いないと思います。

30日こそは出かけようと思ったが・・・
前日に遅くまで予定などを検討していて眠れない。
朝うとうとしている中で、5時半過ぎ、
お葬式の連絡がありました。

ついに出かけられなくなりました。

31日は法事がある。それとお葬式。
6月1日は予定はないが、6月2日は午前中に例の裁判の公判。
午後からは例のトラブルの主がやってくる。
もう出られない。

6月2日は忙しかった。
まず、裁判の出廷。これは弁護士さんから電話があり、
来なくても良いとのことです。

せっかくですから行きたいのですがと言うと、
「相手も来るでしょうから、裁判所で喧嘩されても困ります」
とやんわり断られました。

9時半T氏、10時N社、11時、N氏、11時半O氏、2時M氏、
6時A社と立て続けに訪問があり、その間に眼鏡を購入に行き、
B社に池の水質改良実験に立会い。

6時過ぎになって、本堂の常夜灯が何故か切れている(汗)
結局7時過ぎまで何も準備ができなかった。
そこからあわただしく準備。
10過ぎにやっと終わった。

果たして出発できるのでしょうか?

6月3日、雨がパラパラ降っている。
気が重い。雨の中の出発とは・・・

列車の中で白衣に傘をかぶり、金剛杖を持ち、背負子を
背負った姿は、通勤途中のサラリーマンや学生に混じると
なんとなく場違いで違和感があります!(*^_^*)

7時過ぎ、南小松島駅に降り立ちました。

小松島は平家を討つ為に義経が上陸した地点でです。

それにあやかったわけではありません。
たまたま当院の位置からすると、次の札所は18番札所の恩山寺

雨の中、合羽を着て、いざ出陣!(*^^)v

ところが・・・いきなり道に迷う(;一_一)
というより全く調べていない(;一_一)

適当に進めば行けるだろうという安易な考えが大失敗!

道路工事のおじさんに道を聞いた道を進み、
ふと横を見ると、ホームに人が・・・
南小松島駅???

30分近く駅付近で迷っていた。(;一_一)

教えてもらった道を進んでいると、だんだん家がなくなり
寂しくなってきた。
思い切って曲がると国道55号に出た。
さらに国道を渡ると・・・「恩山寺」という看板!

見覚えのある道が、ありました。
おお~へんろ道に出た!(*^^)v

「これで安心」と思うのもつかの間でした。
雨が降り続いており、疲れないように
「ゆっくり・ゆっくり」と言い聞かせながら
歩きます。

左側に旗山が見えて来ます。
この上には八幡神社があり、登ったこともありますが
余裕がありません。

とりあえず「18番札所の恩山寺」へいくべし。

しかし・・・遠い・・・地図上では5キロ
一時間ぐらいのはずが・・・
延々と歩いているような気がしてきました。

ようやく恩山寺の登り口の看板が見えました。
大袈裟でなく、今までに無い位うれしかったです。

しかし、そこからが長い。
左に舗装された車道を登るのですが、
恩山寺がこんなに遠かったとは・・・

ようやく18番札所の恩山寺に到着。

弘法大師再興の寺院と言われ、お大師さんのお母さんの遺骨が
山中に埋められ、石塔が立っていると言われています。

お参りもなくひっそりとしています。

本堂にお参りしようとしていきなりピンチ!
ライターを忘れて、線香に火をつけられない。
とりあえず線香なしでお参り。

本堂では真言僧らしく理趣経をお唱えします。
15分位拝んでいるうちに、お参りの人がやってきて
ローソクを立てましたので、最初から予定だったように
その火をもらって線香に火をつけてお供えします!(*^^)v

大師堂もお参りして納経所へ行き納経を受けます。

しばらく納経所で休憩して8時50分頃
恩山寺を出発しました。

実は私は四国遍路に出発したことに興奮して
この時点で恐ろしい兆候が現れていることに
全く気づきませんでした。

さて、次は関所寺といわれる19番札所立江寺です。

関所寺では信仰心のうすい者、邪悪な考えのものに仏罰が下る。
と言われています。

かつて「お京」という娘が不義の相手と共に夫を殺し、
この立江寺までやってきた。ところがお京の髪は寺の鐘に
巻きつき天罰が下ったという伝説があります。

徒歩で向うには、恩山寺への上り坂の途中から、山道に入ります。

通称義経ドリームロードといわれています。

義経が屋島へ進軍した道だというのですが・・・
人一人やっと通れる道で、そんな軍隊が通れるか?

伏兵がいたら、全滅するやないか?

しかし、上陸した義経軍はたった150騎!
なるほど・・・

程なく旧道(車道)に出ます。

出口には伝説の遍路、中務茂兵衛のへんろ石があります。

相変わらず雨は降り続いています。

立江までの道は勝手知ったる道。
わずか4キロですが・・・遠い。

立江寺の少し手前に前述の「お京」を祀る「お京塚」があります。
コンクリートのお堂の前には草が伸び、
以前より心なしか寂れたように見えます。

ここまで来るとあと一息。
橋を渡り正面に見えるのが立江寺です。

立江寺はやや狭い境内に巨大な本堂がでんと構え、
諸堂が所狭しと並んでいます。

時計を見ると10時10分。

4キロで1時間20分???
結構時間が掛かった。
体も既にバテています。

雨が降っているからだ。
ゆっくり抑え気味に歩いたのだ。
自分でそう思い納得しました。

ただ、20番札所(ここから13キロ)には2時。
21番札所には(さらに6.5キロ)には5時までに着けるだろう。
21番からはロープウェイで山を下るというのが私の読みでした。

かつて、20キロの荷を背負い、一日平均40キロを超す歩行を
半年以上続けたことからすれば、わずか10キロそこそこの荷で
30キロ弱の歩行という数字は山岳札所を含むとはいえ、
不可能な数字ではないはずでした。

但し、15年前ならば・・・

立江寺では雨がバシャバシャ降る中をお参りします。

一人のお遍路さんから声を掛けられました。

「ずいぶん速いですね。さっき車で追い越したんですが・・・」

予想より進行が遅い私にとっては
皮肉にしか聞こえませんでした。(;一_一)

お遍路さんはお参りが主である。
だから境内でのお参りを重視すべきだ。

というのが私の持論です。(*^^)v

ある歩きのお遍路さんのサイトに

「まず体つくりから」

と書いてありました。

しかし、私はわざわざ特別な運動などしませんでした。

「歩く体力が無かったら、歩いてお参りしたらアカンのか?」

「それはどう考えてもおかしいやろ」

全く運動をしていない言い訳に聞こえるかもしれませんが、
声を大にして言いたい所です。

歩いて廻ること自体に意味はない。信仰こそが重要だ。

途中で止まったら、そこで終わりにすればいい。

遍路とはそういうものだ!

そう思いながら、10時50分に立江寺を出発する。
目指すは13キロ先の山上にある20番札所鶴林寺。

雨はだんだん小降りになってきました。

しかし、なかなか休憩もできない。(*^_^*)

トボトボ歩いていると、路線バスが追い越していく。

おお~バスがあると思い、バス停で時間を確認すると・・・
次のバスは・・・二時間後?(*^_^*)

そもそも、このバスはどこへ行くんだろう???

私と同じ方向へ進んでいるのはわかる。
ただ、「立江・葦原行き」?

せっかく進んだのに立江へ戻ったら大変だ!

バス停を見てもどこへ行くのか判らない?

どこへ持って行かれるか判らないのでは、地元の人ならともかく、
土地勘のないお遍路さんにとっては怖くてバスに乗れない。

一体どれだけ歩いたんだろうと思うぐらい、長時間歩くと
小学校の先に巨大なクスが現れた。

櫛渕八幡神社である。

ところで、四国遍路は昔から神仏両参りといわれています。

その意味をご存知でしょうか?

四国遍路は弘法大師にすがって廻るといいますが、
それを助けてくれるのは、土地の神様であり、
土地の人達です。

その神様や人達に感謝がなければいけません。

どういう形で感謝の意を現わすか?

その一つの方法として、鎮守社にお参りするという方法を
私は取ってきました。

鎮守社はその地域の人の守り神様です。

鎮守社にお参りすることによって直接土地の神様に感謝し
間接的にその地域の人に感謝の意を示す。

私はそう解釈してきました。

特に、四国を歩いて恩恵を受ける「歩き遍路」は
札所だけでなく鎮守社にお参りすべきであると私は思います。

そうでなければ、歩き遍路の意味がない!

能書きが長くなりましたが、こちらがその神社です。

CIMG0677.JPG

この巨大なクスを見よ!
お参りせずに素通りはできまい!

境内に入り、石段を登り道中の安全に感謝してお参りします。

時計を見ると・・・12時!

さて、どれ位進んだろうと地図を開くと・・・

たった3キロ???

明らかにペースが落ちています。(;一_一)

その時点で、21番札所へ向う予定が無理に思えました。

新たな目標は10キロ先の20番札所へ登り、同じ道を戻る。
麓から徳島までバスで戻り、21番札所は翌日チャレンジだ。

全工程13キロ。
5時までには麓まで下りてこられるだろう。

その読みも多くの希望的観測を含んでいることに
まだ、私は気づいていませんでした。

小雨のなか櫛渕八幡神社を出発します。

空が明るくなってきました。

途中のバス停でカッパを脱ぎ、再び歩き始めます。

旧道から新道に合流した辺りで、一台の車が私の前に止まります。

中から、おじいさんが下りてきて

「お接待させてください」

車の後ろを空けて缶コーヒーとパンをいただきます。

「いや~私は徳島県人なんで・・・」

と断ったほうがよかったのか?

お接待は遠くから来ている人にするものという意識があります。だから

「がんばってください」

といわれると複雑な気持ちがします。

「実は今日20番まで打って家に帰るんですよ」

と言ったら驚くのでしょうか?

貰ってはいけないものを黙って貰ったような気がして
なんか詐欺師のような気分です。

本当なら、お接待を受けたら、感謝の気持ちに納め札を渡すのが
作法なんですが、生憎雨によって納め札は背負子の中に
しまいこんでいます。

痛恨のミスです。

ところで、吉報です。

葦原のバスの転回上を発見しました!
立江から鶴林寺方面、3,5キロぐらいまで
小松島市営バスで行けます。

しかし、ここから先約二キロはバスがありません。
しかも、一部狭いところがあり、車がスレスレを走り
結構怖い道です。

本当ならバスでパスしたい道です。

休むところもなくトボトボ歩きます。
ふくらはぎが痛んできました。
程なく、勝浦川沿いの道に出ました。

15年前、ここで台風並みの強風と豪雨に見舞われました。
真っ直ぐ歩くことすら困難な風雨。

その中を20番鶴林寺へ向いました。

鶴林寺は標高500メートル、山の中腹にあり、
登り口の標高30メートルから3キロで
470メートルを登ります。

狂ったように荒れ狂い怒れる山は、私に容赦なく襲い掛かります。
合羽の中は汗だくとなり暑さで蒸れ、どんどん体力を消耗していきます。
立ち止まることすら恐怖に思える林の中で、私は道に迷い
ぶつかり擦れあう木々におびえました。

立江を午前7時頃出た私が鶴林寺に着いたのはお昼頃。
先を進むことは断念し、当時営業していた鶴林寺の宿坊に
宿を乞いました。

その日、鶴林寺へ徒歩で登ったのは私だけ。
立江から向ったお遍路さんは、あまりの風雨に麓で
泊まったそうです。

今までの遍路経験で最も厳しかったのがその時の鶴林寺。

しかし、再び鶴林寺が私の前に立ちはだかります。

勝浦川沿いに出たとき、道案内がありました。

鶴林寺まで7キロ。立江寺まで6キロ。

立江からたった6キロ???

見間違いではないようです。

もう一時を過ぎています。
予定なら鶴林寺に登り始めていなければなりません。

足の痛みと疲労がピークに達しています。

20番札所、鶴林寺に登ることを諦めます。

ただ、せめて、鶴林寺の登り口まで行きたい。

無情にも再び天から雨粒が落ちてきます。
再び合羽の行軍となりました。

粘りましたが、もう歩けない。
鶴林寺の登り口まであと2キロ。
鶴林寺まであと5キロ以上ある地点で先へ進むことを断念。

西岡上のバス停から徳島駅前行きのバスに乗車しました。

6月3日 二ヶ寺 一社 参拝 歩行距離 17キロ 

15年の歳月が想像以上に重くのしかかります。


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